アンコール遺跡 雑記 Ver.1.2

17-19 JUN 2002

 6月17日、アンコール遺跡のあるシェムリアップへ、バンコクからバンコク航空で出発した。
飛行機は、70人乗りのプロペラ機。機内は満席で、半数は欧米系の人たちだ。飛行は、ゆれもなくまずまず快適だった。女性乗務員は二人、ひとりは日本人そのものの顔立ちの美人。1時間ほどでシェムリアップ空港に着く。
 空港は現在新築中で、今あるのは空調のないプレハブだが、不思議と暑くはなかった。

 ツアーのガイドさんは、空港から出た炎天下の広場で待っていた。ここでは待合人は建てやの中には入れない。 こちらは2人だったので、車は乗用車(カムリ)が用意されていた。これで3日間アンコール遺跡群を見て回るわけだ。

予定は、1日:バイヨン、アンコールワット
            2日:スラスラン、タプローム、プリアカーン、ニャックボアン、ほか
            3日:バンテアイスレイ、プレループ、トンレサップ湖

 早速、アンコールワット観光のPASSを作ってもらう。(このPASS作成のために事前に顔写真を用意しておく) 寸法は(2.5 x 3 cm)、ガイドブックにはいろいろなサイズがあったが、これで問題なし。ThreeDaysPASS US$40

南大門
 まず、アンコールトム南大門に行く。ここはアンコールトム/バイヨン寺院に行く入り口で北にも同じ門がある。門は、乗用車が一台、ちょうど通れる幅だが、車がこすった跡がいたるところにあった。門の外側には石像(阿修羅像)が並ぶ。石像の首はかつて殆どが盗られてしまったらしいが、南大門側は修復されていた。北側の北大門は、首はなく荒れていた。(2日目プリアカーンに行ったとき確認)

バイヨン
 南大門からバイヨン寺院まで1,2分。中に入るまでに、外壁のモチーフを見て回る。かつての市民の生活、戦いの様子が、絵巻のように彫られている。いろいろ説明をしてくれたが、いちいち覚えられない。 この見学のころからスコールに見舞われる。寺院の中に入る。雨が滴り落ちる部屋に何体かの仏像があった。(バイヨンは仏教寺院)線香を買ってほしいと小さな子供が寄ってくる。 上に上がり詰めたところに、顔、顔、顔の石塔が並ぶ。

アンコールワット
 バイヨン寺院を見終わり、アンコールワットに向かう。スコールはますます激しくなり、アンコールワット西門入り口の広場に車を止めて、小降りになるまで待った。30分ほど待って少し小降りになったので、傘を持って出かける。よく写真に見る参道の石畳を歩く。左側は今だ改修中で土塁に青いシートがかけられている。傘をささずに、ずぶぬれになった地元の子供たち、観光客と行き違う。
 参道中央の西塔門を抜け、いよいよアンコールワットの全容が見えるが、雨に霞んではいる。
第1回廊レリーフを見ながら一周する。ここもいろいろ説明を受けたが、いちいち覚えられるわけでもなく、実際はホテルに帰ってガイドブックで確認した。バイヨンのとは違い地獄とか天国、戦いの絵が多く血なまぐさい感じがする。
 第2回廊から第3回廊に向かう。この頃にようやくスコールが通り過ぎ、雨が上がった。第3回廊へは、ガイドブックで見るあの急な階段があった。何箇所も上り口はあったが、ガイドから石段の整っている比較的登り易い階段を教えてもらい、手をつきながら一気に這い上がった。登る途中で下を見ないようにした。見たら、足がすくんでしまったかもしれない。
 下りるときは、手すりの付いた階段を教えてもらい安心して下りることができた。もしこの階段がなければ、登っても下りられなかっただろう。第3回廊には仏像が祀られていた。(アンコールワットはヒンズー教寺院だが)
 第3回廊からは雨上がりの西参道が、夕日の中に見えた。

翌朝、4時起きで、アンコールワットで日の出を見る。

スラスラン
 朝、9時に着くが日差しが強く暑い。スラスランは、この時期(雨期だが始まり)まだ池の水は少なかったが、遠く先の方で人が網で魚を取っていたようだった。
 入り口にあるお土産屋の小さな子供たちが、「お兄さん、1$」と言って、腕輪を売りに来た。
あまりしつこいので、結局20個 1$で買ってしまったが、こんなに買う必要もなかった。結構手の込んだ腕輪で、子供に悪い気がした。

バンティアイクディ
 スラスランから歩いて反対側のバンティアイクデイに向かう。物売りの子供たちが着いてくる。かわいい子もいた。ここを、東門から西門へ通り向ける。途中、仏像、リンガがあったが、印象が薄い。

タプロ-ム
 いよいよ、スポアンの木で知られるタプロームへ。奥に進んでいくとガイドブックで見て知ったスポアンの木を数箇所(写真)で確認。そして繁殖のすごさに納得。だが、このスポアンが、実は石造物を壊してしまう原因にもなっていると聞かされ複雑な気がした。ここは全体にじめじめしていてスポアンの木が生い茂る環境になっている。

タ・ケウ
 ここは、あまり人はいなかった。ピラミッド状の建てやで、完成したものではないと言う。だからなのか壁面の彫り物は見つからなかったが、一部サンスクリット文字の書かれた壁が頂上にあった。ここはガイドは途中まで案内しただけだったので、ひとりで登ろうとしたら、子供が来て案内してくれた。階段はここから上ると登りやすいとか、頂上からアンコールワットがあそこに見えるとか教えてくれた。下りてから案の定、お金を請求された。5$と言っていたが、2$払った。学校に行きたいので文具を買いたいからだと言っていた。(注:この話は、日本に帰ってから他の人のHPに$5、$2、学校とKeywordが同じ話を見つけて苦笑いしました)

王宮(入り口のみ)
 ツアーコースになかったが、午前の部の帰り道だったので通りすがり車から降りて、ガルーダの像を見る。この宮殿の前は広場になっていて、日曜日になると周辺の人たちがピクニック気分で遊びに来ると言う。

 お昼に一旦ホテルに帰る。ここでは、お昼は1、2時間平気で休む。日中は暑いからそのような生活になっている。その代わり朝は早いうちに仕事を始める。学校ではお昼は家に帰って食事をするといっていた。この日ちょうど日本対トルコの決勝リーグ一回戦が始まり、昼食後ホテルで中継を見ることができた。見だしたらすぐ1点とられてしまった。(カンボジアは日本より2時間時差)

プリアカン
 サッカーの試合が終わらなかったが、時間になったので、出発する。日本が負けていたので気になっていたが、車を降りてプリアカンの入り口にきたところで「日本が負けた」と、そこにいた現地の人が教えてくれた。ラジオを聞いていたようだ。カンボジアもサッカーが盛んだとガイドが言っていた。プリアカンは、修復作業が遅れているせいか、廃墟といった感じだ。でも漆を塗った赤くなった彫り物があったり、丸い模様がどこかアンパンマンに似た石塔があった。奥に進んだところに一見西洋風の2階建て建造物があった。

ニャックポアン
 この時期まだ4つの小池と、中央池にはまだ水はなく、4カ所の水の出口を見て回った。ここは、規模的に小さい所だ。雨期末期の池に水を張った景色もまたいいのでは。道路からの参道では、数人で演奏をしていた。休みなく奏していると思ったら、我々が通るときだけ演奏していた。タプロームでも入り口で同じように演奏していた集団がいたがこの時はあげなかったので、今度はあげようと1$持って近寄ったら、箱に5$と書いてあった。でもそのまま入れて離れた。

プノンバケン
 ここは、夕日を見る人気の場所。我々も同じ行動をとる。夕方、5時ともなると、ぞろぞろここに来る。小高い山の上に寺院がある。10分もあれば登れるが、坂道(登山道)はでこぼこで、足を取られてよろめく人がいた。この暑さで登り終えたときは汗でびしょびしょだった。象に乗って登るのもまんざら悪くはないなと思った。登り終えたところは平地で、更に急な階段を上ったところが、夕日スポット。6時半の日没まで、1時間はあったが、多くの人がそれまで待っていた。

バンテアイスレイ
 朝、車で1時間ほどかけて、バンテアイスレイに行く。途中の家々は、殆ど高床式の家で、新築の立派な家もあれば、また粗末な家もあった。タイ国境から来たという何人も荷台に乗せたトラックに遭う。道の途中には橋げたの落ちた橋があり、車のタイヤがはまりそうでひやひやする場面もあった。
 バンテアイスレイは、こじんまりした、寺院だ。赤色の砂岩を使っているので、全体が赤い。入り口から参道を歩いていくと、堀に囲まれた本堂がある。堀には、水連の花がきれいに咲いていた。
 ガイドブックに「東洋のモナリザ」と紹介のあった像には近寄れず、遠くから見ることになっていた。がっかりした人も多かっただろう。仕方ないからデジタルビデオの望遠で撮った。この日も大変暑く、帽子は絶対必要だ。

プレループ
 ピラミッド状の寺院。火葬場としても使われたとかで、ラテライトの赤い建物がそれを物語るようだ。上に登ると周りが見渡せて気持ちがいい。

トンレサップ湖
 3日目の午後、トレンサップ湖に行く。シェムリアップ市街から、シェムリアップ川沿いに南下する。川はそれほど水かさはなかった。流れる水は泥水だ。道はしばらくは舗装されていて車のスピードはあがっていた。20分ほど行くとプノンクロムの小さな山が見え、頂上にはそれらしい茶色い祠が見えた。下から階段が伸びていたが暑い中上ると疲れそうだ。雨期には、ここまでトンレサップ湖の湖水が来ると聞いて驚いた。(6月も雨期だがまだ来ていなかった) 車はこれを右に見て更に2キロほど湖に進む。ここからは悪路になって車のスピードはダウンした。道の脇には竹で組んだような高床式の粗末な小屋が所々に並んでいる。トンレサップで魚を捕って暮らしている人たちの住まいだ。小屋の中にはかならずテレビ(白黒)が見えた。これが唯一の娯楽なのかもしれない。また道には日本のライオンズクラブで掘った井戸が3,4個所にあった。以前何かで聞いた、「カンボジアで日本人が井戸を掘ってあげている。」という話を思い出した。

 川端の船着場に近づくと家が多くなりにぎやかくなってきた。車の窓を開けると漁村特有の魚の腐ったにおいが鼻を突く。砂浜では捕ったばかりの魚をトラックに運び込んでいた。我々は漁船に座席をつけて観光船にしたような船に乗り、湖まで更に下る。水路(川)の両脇には水上で生活している人たちの船が並んでいる。雑貨を売っている船や、学校も2、3隻あった。ガイドの話だと水上で暮らしている人はベトナムから川伝い来た人たちだそうだ。1キロほど行くと広々としたトンレサップ湖に出た。水は茶色い泥水である。天気が悪かったこともあるが、はっきり言って素晴らしいという気はしなかった。ガイドブックでは、青い湖水で子供が水遊びをしている絵があったが。。 沖にはプノンペン行きの大型船の船着場が見えた。帰路につく頃ちょうど学校が終わって船に乗って帰ってくる子供たちに会った。みんな制服を着ていて手を振ると笑って応えてくれた。

宿泊ホテル
 ノコールプノンホテル (写真 
シェムリアップ市街から10分ほど西に行く。途中にはもっと豪華なホテルがいくつもあった。

 最後まで読んで頂きありがとうございました。
 

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